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ベルリンの壁

第二次世界大戦後、敗戦したドイツは連合国によって占領されます。

ドイツは分断され、社会主義ソ連が統治した東側をドイツ民主共和国、アメリカやイギリスなど資本主義が統治した西ドイツをドイツ連邦共和国という国家に独立し、分かれてしまいました。

この分断国家の誕生はアメリカ軍側のNATO北大西洋条約機構)と、ソ連軍側のワルシャワ条約機構という軍事同盟の誕生にもつながります。

東ドイツのドイツ民主共和国内に、ベルリンがあります。ベルリンも社会主義の東と資本主義の西で分断されました。ベルリンは東西冷戦の最前線となっていきます。

1950年東西の経済格差によって東側は貧しい生活をしていました。そのため東ベルリンから西ベルリンに移住する人が増え、この移住を阻止するために1961年東ドイツはベルリンの東西における境界線に全長155km、高さ4mのコンクリート壁を建設します。それでも壁を越え移住する人が多く、国境警備隊により射殺された人も多くいました。

また西ベルリンの国境線は鉄条網が張り巡らされ、ドイツ連邦共和国からの物資援助が受けられなくなります。アメリカ軍は対処法として毎日、西ベルリンに物資の空輸をするようになりました。

 

冷戦終結後、このベルリンの壁は市民により壊されます。1990年東西に分かれたドイツは第二次世界大戦戦勝国、アメリカ、ソ連、イギリス、フランスの承認を得て統一することができたのです。