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バスク問題

言葉や文化の差で大きな犠牲を出しているスペインの問題

 

スペインの紛争問題でバスク問題があります。バスク地方はどこの言語に似ていないバスク語を使う民族がいて、フランスとスペインの国境にまたいだ所に住んでいます。

 

バスク地方の民族は、バスクバスク語というスペインとは違う言葉を使い、スペインは複合民族国家と認めてほしいと主張しています。しかしスペイン側はバスク語はスペイン語の方言に過ぎない、スペインは単一民族国家と主張しています。

 

バスク地方の中には独立を主張する人たちもいて、『バスク祖国と自由』という過激な組織があります。バスク祖国の自由はスペインがバスクを独立させないのであればテロも実行すると主張、スペインでは多くの爆破テロがバスク祖国と自由により実行されました。組織はテロを促進するためバスクの企業からは革命税を徴収、従わない企業には爆破テロなどをしていた。

この組織は1998年にテロ活動を休止宣言しましたが、スペイン政府と交渉が行き詰まり再びテロ活動を開始しています。

 

 

 

 

 

家の掃除

今日は、大好きな釣りに行かず(川に少しだけ行きましたが)

家の掃除をしました。

 

我が家は共働き&子供が小さいため、

片付ける時間が少ないのにも関わらす、

子供達がひっちゃかめっちゃかにします。

 

その度に怒号が飛ぶのですが、

子供達は2歳と1歳ですので分かる訳もありません。

 

うなだれながらお掃除開始です。

 

まずは燃えるゴミの袋を片手に、

手当り次第に集めまくる先方です。

 

なんと、恐ろしいことにこれだけで、

5袋分ゴミを集めることになりました。

 

また、我が家はペットボトル飲料の消費が激しいため、

空のペットボトルが山のようにありまして、

これは一度そのまま袋にまとめて、

ベランダに避難させました。(あとでカミさんにお願いします)

 

ここで、事件発生!

 

うちは、お米をタッパに入れて保存しているのですが、

これを子供達がひっくり返すという、

今世紀最大のだるさ上昇率を記録する事件を起こしました。

 

ピチュン。。。

 

僕のモチベーションはここまでが限界でございました。

 

イカ釣りの動画に逃げてしまいました。

明日から仕事ではございますが、

子供達が寝静まったあとに、

掃除しないといけないかなと思ってはおりますが、

多分寝てしまうと思います。。。

 

ここでも、改めて思い知らされることは、

継続して毎日少しずつ掃除していけばなんてことは無いのかなと、

そんな風に思う訳です。。。

 

地道に、少しずつ整理されている空間を、

増やしていけるように頑張ります!

 

それではまた!

釣り

今日は釣りに行ってきました。

ここの所、毎日、釣りの動画を見ては、

土日に海へ釣りに行くという環境に身を置いています。

 

今狙っている魚はシーバス(スズキ)なのですが、

本日は一匹もヒットすることなく家路につきました。

 

僕は基本的にルアーで釣りを楽しむのですが、

餌を使ってしまおうかと思うくらいに、

今日は当たりが来ませんでした。。。

 

でも、慰めにもならないのですが、

餌で釣りをしている方々もつれていない様子でした。

 

釣れたのはビニールのゴミだけでございます。

 

もっと勉強が必要なのかもしれません!

どこを狙えば良いのか、

もっと詳しく研究したいと思います。

 

釣りに行く前に必ず釣り具屋さんに行くのですが、

何時間でも見ていられる程、商品がたくさんあって、

本当に楽しいです。

 

お金がかかってしまいますが、

もっと上手くなればルアーを無くしてしまったり、

竿を折ってしまったりだとか、

そういうことも少なくなっていくと思います。

 

最近は、100円ショップにも、

見た目のクオリティが高いルアーなども販売されていますので、

初めて釣りをされる方に向けても敷居が低くなったと思います。

 

趣味が無い人は釣りがオススメです。
(魚が苦手でなければですが。。。)

 

それではまた!

代理戦争(ベトナム戦争)

第二次世界大戦後、ベトナムでは社会主義の国、ベトナム民主共和国が独立宣言します。

ベトナムは長年フランスの植民地でした。この独立をフランスは認めず、インドシナ戦争へ発展していきます。この戦争はフランスの劣勢で、フランス軍は撤退します。このとき北緯17度線が暫定境界線となりました。

ベトナム民主共和国は南部の統一も主張しますが、もともと資本主義の国家であるベトナムの統一はアメリカが反対しました。アメリカの支援を受け、南部には1955年にベトナム共和国が資本主義国として誕生します。こうしてベトナムは南北に分断されたのです。

統一を目指すベトナム民主共和国は南部のベトナム共和国と戦争になります。ベトナム民主共和国社会主義のため、中国とソ連から支援を受け戦いました。南部はアメリカの支援を受けていました。この戦いでベトナム共和国は劣勢にたちます。アメリカはこの状況をみてベトナム民主共和国を壊滅させるために北爆に踏切、ベトナム戦争へ本格的に参戦していくのです。

ベトナム戦争は泥沼化していき、アメリカの世論では反戦の動きが強くなりました。

アメリカ軍は最終的に撤退。アメリカの支援を失ったベトナム共和国は首都を占領され、ベトナムは北部のベトナム民主共和国が統一しました。1976年にベトナム社会主義共和国が誕生したのです。