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パレスチナ問題って?

最近よくニュースでパレスチナ問題が頻繁にでる。

空爆やら紛争やら、

 

そもそもパレスチナ問題って一体なんだろうか?

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パレスチナは中東のイスラエルのある地域をいう。

ユダヤ教キリスト教イスラム教の聖地でもあり、宗教的にも特別の場所である。

 

第一次世界大戦が終わるまでは、オスマン・トルコ帝国の領土であった。トルコ人はイスラム教徒が多かったですが、他宗教に対しては寛大で比較的、平和を保っていた。

 

しかし第一次世界大戦オスマン・トルコ帝国はイギリスによって崩壊する。

大戦ではイギリスとオスマン・トルコ帝国は敵同士で、イギリスは戦争を有利に進める為に、矛盾条約を近隣の民族と結んでいった。

 

ひとつは、この地の先住の民アラブ人に対して、パレスチナにアラブ人の国家を建国する約束をした『フサイン・マクマホン協定

 

もう一つは、ユダヤ人に対して、パレスチナの地にユダヤ人の国家建国の約束をした『バルフォア宣言』。

 

また、フランスやロシアにも領土の勢力範囲を示した、『サイクス・ピコ協定』も結び、三枚舌外交をイギリスはしてしまったのだ。

 

なぜこんな約束をしてしまったのだろう?

それはスエズ運河を手に入れたかったからだ。アジアに向かう航路で、重要なスエズ運河はどんな手を使っても手に入れたかったのだ。

 

これらの条約でイギリスは協力を得て、戦争を有利に進めて行った。三の約束の内、イギリスが守ったのはフランスとロシアとの約束でした。

イギリスは圧倒的な軍事力でユダヤ人やアラブ人の不平不満を押さえ込み、パレスチナを手に入れた。

 

そのまま第二次世界大戦が勃発、ドイツはヒトラーが支配するようになり、ユダヤ迫害政策を進めて行く。国家の無いユダヤ人は第二次世界大戦終結後、自分の国家を熱望し、国家があれば大戦中の大虐殺など起こらなかったと考えたのだ。

 

イギリスは第二次世界大戦後、紛争の火種を残したまま、パレスチナから撤退。その後を国連が引き継ぐ事となった。

 

国連パレスチナを分割。ユダヤ人の国家イスラエルとアラブ人の国家パレスチナを建国した。

 

ユダヤ人はこの決議に賛成したが、アラブ人は先住の地をユダヤ人に奪われるという受け入れられない決議だった。

シオニズムというユダヤ人が聖地エルサレムに国家を建国する活動が19世紀から活発化し第二次世界大戦までにはかなりの数のユダヤ人がこの地に移住してきた。この光景からアラブ人は先住の地をユダヤ人に奪われる侵略者に映ったのだ。

しかしユダヤ人も先住の地はパレスチナと主張している。ローマ帝国がこの地を支配していたときはユダヤ人が1000年住んでいた。ローマから迫害されたユダヤ人の後にアラブ人がその後2000年住んだのだ。この2000年の間ユダヤ人は世界各国へ散らばって行く。

しかし、アラブ人はユダヤ人を先住民とは認めず、1948年にユダヤ人がイスラエルを建国すると、アラブ人は近隣諸国の協力を得て、イスラエルとの戦争に突入して行くのであった。

これが中東戦争の始まりで、この戦争は4回もあり、今日も混乱の続く、極めて解決が難しい民族間の問題であるのだ。